最後の一言は同情か、侮蔑か(観劇感想)
本文章は、少女蘇生さんの朗読劇「嘘の胎動」 北の館 に関する感想です。
これにはいろいろ言いたいことがあったけど数個でまとめると
- なんかよくわからないけど好き。引き込まれた
- 原作を知っていて後悔したはじめての観劇だった。
といった感じで大きくすると感想が固まってしまいます。ので一つづつ細かく解していきましょう(´・ω・`)
なんかよくわからないけど好き
自分でもわかりません(笑)でも、あの空間、あの北の館の部屋を確かに見ていた。って思いわくわく?と期待が。
赤い手…気づいてて毒殺されたのかお兄さまはわかりませんが、これはメッセージ何だろうなぁと(;・ω・)髪の毛も。知ってて受け入れるって、できないけど。すごい心が強いんだなぁって文上じゃなくて、いせきさんの表現やベェってなってました。
そして、それを見た詠子
詠子の、最後の言葉については諸説ありますが、今回の詠子さんは「純粋な心配」といった感じで受け取りました。
あまりさんとはちがい、明らかに腹芸よわそうな印象を与えられたので…文では表現できない素敵なもの。
さらには厳格で厳しいけど、どこか。どこか鬼になれずに光次は早太郎を見捨てなかった。
この場で生きてる。ってわけわかんなくなるけど、ワケわかんないほどに好きになりました。
あ、個人的には侮蔑と追究してる説が好きです←
腹黒に包まれるならもっとつつまれててもいいんじゃないかなって(笑
一番の後悔は原作を知ってたことです。
知ってても楽しめて、見て第一に思わされたのは好き。でしたが、次に浮かんだのは「この作品の原作を知らないできたらどんなことが浮かんだのか。どんな思いを感じれたのか。どんな感情が生まれたのか?」
残酷ですよね。知ってたから楽しみが増えるものもありますが、知ってるからこそ永遠に見れないものもある。
…なんだかんだ、見れないものを見れるようにするためにモガキナガラ生きているのかもしれないけど。
多分、この団体さんは予定が空くなら空く限り見に行くだろうなって位好きになりました。
ぶるーいんざぶるー買い忘れたので次回買います
「あまりさんは、紫の手袋をしているのね。これもいずれ、赤く変わるわ」
最後の一行より。これにて
ちょっと追伸、 主催の仲野さんが前説してたんだけどいい声してたなぁって(〃∇〃)ぐへへ←